令和7年の年賀状は寒中見舞いを出すことで・・・
主人のパソコンは2階の自室にあり、津波の難を逃れました。
私のパソコンは玄関そばの一室にあって、フラワー工房の備品の発注、原材料の発注、ラベル印刷と使用していました。
工房の全ての台帳、領収書類や出納帳など、引き出しケース15段ごと、パソコンともに津波で流されて無くなりました。
住所録、とってあったバックアップのUSBも。
住所録は、主人のPCは、友人、ジャム関係、珠洲焼関係と分類して保存してありましたので。
問題は、私個人の交遊録がPCごと無くなったことです。
仕方なく、「年賀状でおめでとうもないよね!」という理由で、配達された年賀状の返事を寒中見舞いでお返しすることにしました。
余談ですが。
私は高校の卒業生(20回)の同窓会の幹事の一人として300名の住所録をエクセルで保管していました。
住所変更や物故者などは、それぞれ幹事、本人、友人などから連絡がはいります。
70歳の古希の集まりが最後でしたが、次回はどうしたものでしょうか。
15年前の暑い夏に、汗をかきながら5,6か所の地区別幹事から届けられた住所を300名をエクセルに打ち込んだ日々が思い起こされます。
300枚の往復はがきも両面プリントアウトして。