珠洲の往来の拠点を作ること
珠洲の中心である飯田町に、私の叔母さんの家がある。
叔母さんは、5年前に自宅で転倒して左肩骨折して以来、手術入院を経て、自宅に戻れず、そのまま施設に入居した。珠洲の施設では、私が保護者となりお世話をすることになった経緯がある。(一人娘は遠い高山にいて、すぐ来れないこともあり)
過去3回続いた大きな地震のたびに主人と応急処置を施し、震度5強までは大丈夫だった(家具、ステレオスピーカーは隣の部屋まで突き抜けたりはしたが)。倒れたものを起こせば何とかなった。
落ちた窓は入れ替えたりできた。
しかし、1月1日の震度6は、叔母さんの家は無事建ってはいたが、中は私たち2人には手が負えないくらいのあれようで。
こちらもボランティアをお願いした。
あとは二人で少しづつ片付けていった。幸いなことに、水道、風呂、トイレが何よりも壊れてなくてよかった。
夏ごろには泊まれるまでに片付いた。このことが一番安堵したことでした。
まわりの商店街だった町並みには絶句した。
飯田町だけではなく、珠洲市全体が見たことのない壊れかたで恐れおののく光景だった。
叔母さんは、施設の被害、職員さんの自宅も被害で。1月10日、自衛隊の車で近県の施設に割り振りされたようです。
幸いに、私たち夫婦のみなし仮設アパートに近い施設でした。