みなし仮設のアパートで。
車中泊2日の後、娘一家が京都に帰ることに。下の子が恐怖に震えて怯えた様子のため。前日、主人が幾人かの知人に道路の様子を尋ね、父親と飯田までの道を確かめて誘導したようです。
子供二人には家の惨状を見せず、覚悟を決め、2か所の給油スタンドで限定販売のガソリを入れての出発です。
京都まで無事着いたとラインがきたのは30時間後でした。悪路の中での挑戦みたいなものでした。
主人と畑の陶芸の薪小屋で8日ほどすごし、そばの小さなコンテナハウスで寝ました。
このコンテナと仮設トイレは窯焚き時用にと主人が設置したもので、こんな時に役立つとは。
主人は孫たちに感謝の言葉をかけられて笑ってました。
水も電気もない生活の中、私の体調も悪くなり、友人の勧めもあって友人の知り合いの家で生活することに。
金沢には悪路の連続で8時間かかりたどり着いた。主人のいとこの家のお風呂に10日ぶりに入れてもらい、
そして、あったかいなべ焼きうどんをいただき、その夜は暖房のきいた畳の上で眠れました。
翌日、1か月間の約束で入ったのが繁華街の裏手の古民家でした。トイレと使えるキッチン。あったかいストーブ、エアコンとありがたかったです。金沢では、何事もなかったのような生活風景で皆が行き交い、賑やかで、珠洲とは別世界でした。
近くの銭湯の2階に、地震被災の支援センターの張り紙を見つけて。生活物資もいただきました。下着、トレットペーパー、タオル、ペットボトルの水など。
漸く、みなし仮設の生活の始まりです。